会場は横浜にぎわい座。
にぎわい座での公演はとても久しぶりだと思います。
三夜連続公演とはいえ、普段談春師匠が出演されるホールに比べるとキャパの小さいにぎわい座。
私は奇跡的にチケットが取れましたが、チケットは一瞬で完売しておりました。
師匠が当日高座にかけたネタは、一席目が『九州吹き戻し』。
これは長く絶えていた噺を立川談志師匠が復活させたネタ。
現在では談春師匠以外の方が高座にかけられることほとんどありません。
二席目は『へっつい幽霊』。
こちらは比較的メジャーなネタで、志の輔師匠他 何回か聴いていますが、サゲが違いました。
今回のは談志師匠のサゲでしょうかね。
こういうのがあるから落語は面白い。
さて、談春師匠はよく終演後幕を下ろさず、お話してくださいます。
桂歌丸師匠が館長を務められていた横浜にぎわい座での公演だからでしょうか、今回は歌丸師匠のお話でした。
語り口にちょっと毒気のある談春師匠。
誤解を受けがちですが(笑)、今回のお話は個人的にとてもしっくりきたので少々。
落語界には、色々な師匠がいらっしゃり、色々な師匠の亡くなり方があります。
中でも談春師匠に関りが深いのは、もちろんご自身の師匠・立川談志。
談志師匠は落語をこう定義づけました。
「落語とは、人間の業(ごう)の肯定である。」
とても誤解を受けそうな語り口で、歌丸師匠のお話を始めた談春師匠。
「酸素吸入までして高座に上がるっていうね…」
談春師匠の言葉を誤解をしないでいただきたいのです。
今一度、この言葉を踏まえて聞いていただきたいのです。
「落語とは、人間の業(ごう)の肯定である。」
才に溢れ、まだまだ活躍できる華やかな時代に亡くなられた師匠もいらっしゃいます。
完璧主義ゆえ自らの芸のわずかな綻びが許せず、きっぱり引退されてしまった師匠もいらっしゃいます。
談春師匠は語ります。
「きっぱり高座から去ってしまう落語家もいれば、どこまでも高座に上がり続ける落語家もいる。」
「立川談志はボロボロになるまで落語をやりたかったのに声を失ってしまった」
「落語とは、人間の業(ごう)の肯定である。と言った談志でさえ、我々にその業を見せることはできなかったんです。これまで我々に落語家としての業を見せてくれた師匠はいなかったんです。」
「そういう意味では、初めて我々にその落語家としての業を見せてくれた師匠だと思います」
そしてまた、こうも言われました。
「人間死に方は選べないんです。どう死ぬかは選べないんです。結局のところ、どう生きるかってことなんだなと。」
師匠である家元(談志)の理論に則って語ってくださったこの言葉で、ああ、こういう立川流が私は好きなんだなぁとしみじみ思いました。
そこには家元に対する想いがあり、先人たちへの様々な思いがある。
どう生きるか。
私も考えなくてはなりませんね。
ちなみに談春師匠はこうもおっしゃっていました。
「この空間だから話してるんですよ。ここで話す事は、私と皆さんの秘密の共有なんですよ。Tweetとかしちゃだめですよ」
…すみません、ヤバいところは自粛していますのでお許しください、師匠(笑)
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